看護部

働く仲間   スタッフからのメッセージ

柏戸病院では今5人のベトナム人看護師が働いています。

彼女たちは『外国人看護師養成支援事業』で日本の看護学校に留学、日本人の仲間とまったく同じ条件で厳しい正看護師の国家試験に見事合格し、現在は看護師として活躍しています。

以下の記事は2004年12月に彼女たちの先輩のベトナム人看護師さんたちにインタビューしたものです。
この当時のメンバーで現在も残っているのはチュクさんだけですが、今のメンバーもはやり彼女たちと同じ
素晴らしい能力を持ち、また並々ならない努力家でもあります。

出席者
グエン・ティ・ニャ・チャン  26歳   ハノイ出身 4階病棟主任 4年目
ラ・ティ・トゥ・トゥイ    25歳   ハノイ   4階勤務 3年目
グエン・トゥ・フォン     25歳   ハノイ   4階 1年目
ディ・ティ・チュク      24歳   ハティ   5階 1年目
チャン・クオン・タイン    23歳   ハノイ   3階 1年目
聞き手は荻野看護部長と柳沢(内科)です。

シンチャオはベトナム語でこんにちはという意味です

チャンさん

どうして看護婦さんになろうと思ったの?

 チャン:本当は医師になりたかったんです。でも、成績がちょっと足りなくて、それで 
 このプログラムを勧められたんです。 (他のメンバーもうなづく) 

みんなそうなの?ほんとはお医者さんになりたいと思っていたわけ?

 タイン:おじいさんが癌で亡くなったんです。それがきっかけで、医療の仕事を
  したいなと思った。
 チャン:いい仕事ですよね。病気の人の手助けをするって。

(ベトナムでは女性も仕事を持つのが当たり前で、家事は家族全員で協力して行うんだそうです。5人のお母さんたちも全員仕事を持っているそうです。)

でも、日本に来るとなるとご家族は心配したでしょう?反対されなかった?

 フォン:そんなことないですよ、応援してくれました。
 トゥイ:うちではお母さんが反対しました、心配だって。でも、お父さんが、お前が決めなさいといってくれて、それで自分で
  決めて、日本に来ることにしたんです。


日本に来るまではどうだったの?

 チュク:最初の選抜試験で30人ぐらい合格して、その後17ヶ月日本語の勉強をしました。そして日本語の試験に合格し
  て、日本にこられるのは5人から14人位ですね。


みんなは選ばれたわけで、よく勉強したのねぇ

日本に来るまで

看護学校で

トゥイさん

日本に来て一番大変だったのは何?やっぱり言葉の問題?

 全員顔を見合わせて:そうです。
 フォン:学校で、授業がやっぱり…
 チャン:最初は聞き取るのがやっとで。
 トゥイ:ノートなんかとれなかった。
 フォン:難しい専門用語も出てくるし…

それは日本人でも難しいものね。

 チャン:最初の半年ね、大変なのは。
 タイン:私も6ヶ月位したらだいぶ慣れて、だいじょうぶになりました。
 フォン:最初の試験が一番大変だった。友達にノートを借りたりしました。

字のきれいな人に借りなきゃね
 
 フォン:はい、いちばんまじめそうな人に貸してもらいました。

そのへんは、しっかりしてるのね!

 

看護師になって

(とにかく、彼女たちは一生懸命勉強し、日本の正看護師国家試験に見事合格し、晴れて看護師として仕事を始めました。

実際に仕事をしてみてどう?ベトナムの看護師さんとの違いはあるかしら?
 
 チャン:私たちベトナムの看護師さんのことあまり知らないんです。
 トゥイ:ベトナムでは仕事の経験がないし・・・

フォンさん

それもそうよね・・・病院ではどう?つらいことや大変なことはあるの?トゥイさんと
フォンさんはチャンさんが先輩で4階病棟にいたから、心強かったでしょう?

 トゥイ、フォン:はい、そうですね。
 トゥイ:私実習が嫌いだったんです。なんだか怖くて。

怖いって?

 トゥイ:モニターが鳴ってたりするとそれだけでどきどきしちゃって。

でも、今はすっかり積極的になって

 トゥイ:いろんなことがおもしろくて、何でもやってみたいんです。

それだけ自信がついたってことかな。その前向きの姿勢がみんなに与える影響は大きいわよね。
チュクさんはどう?

 チュク:はい、大丈夫です。わからないことがあれば何でも聞いて教えてもらっています。

みんなよく教えてくれる?
 
 チュク:はい、みんな親切ですよ。なんでも相談できます。

タインさんはどう?日本人じゃないってことで、いやな思いをすることはないの?

 タイン:そんなことありません。却ってベトナムから来ているということで患者さんと話が弾んだり  
  励まされたりす ることもあります。それに3階のみんなも良く教えてくれますし。

チャンさんはこの10月から4階の主任になりましたね。

 チャン:主任になってから、自分の仕事が終わればそれでいいというのでは
 なく、どうすれば皆の仕事がスムースに行くのかといつも考えるようになり
 ました。


全体のことを考える?
 
 チャン:そうですね、今までとは違って。

それはとても大切なことだし、皆がそんな気持ちで仕事ができれば一番良いんだけど。

 チャン:はい、でもそういう立場になるまではそんな風に思わなかった。

(このごろ、4階の師長と二人の主任が3人で、勤務時間が終わった後に真剣に話し込んでいる姿を良く見かけます。
若い3人が力を合わせて、良い病棟にしようとがんばっています。)

将来の夢

将来の夢は?チャンさんはもうすぐ帰国するんですよね?

 チャン:来年帰ります。その後はまだ決まっていません。残念なことに、ベトナムでは私たちが日本で勉強したこと
  を生かせる職場があまりありません。もし、看護師を続けたいなら、見習いとして1年間無給で研修を受けなければ
  いけません。1年が終わっても、そこで仕事を続けられるかどうかの保障もありません。
 トゥイ:私もこの仕事を続けたいと思うけれど、簡単ではないと思います。結婚してやめてしまうかもしれない。

それはもったいない!こんなに良く勉強している優秀な人たちがその力を発揮できないなんて!
何かキャリアを生かせる方法を考えないと。

 チャン:まだベトナムは国が発展している途中だから、もうすこし落ち着いて豊かになってくれば、今度は国民の
  健康の問題に、もっと目を向けるようになるとおもいます。

そうなれば、看護師さんたちを育てる仕事も必要になって来るでしょう?

 タイン:そうですね、教える仕事もいいなと思います。

日本の看護雑誌や教科書を翻訳する仕事なんかもできるしね。
でも、異国で病気になったとき、日本語が通じる看護婦さんがいるってとっても安心できるし、うれしいと思う。ベトナムに仕事や旅行で出かける日本人はこれからどんどん増えるでしょうから、そんな人たちのためにも是非仕事を続けてください。
旅行会社やカード会社に届け出ておくといいかもしれませんね。

タインさん

チュクさん

(彼女たちは、自分たちは将来日本とベトナムをつなぐ架け橋となって、ベトナムの看護技術の向上に貢献するという強い使命感をいだいて日本にやってきました。そんな、彼女たちが故国で思うように活動できないというのは本当に残念なことです。日本からベトナムへの働きかけがもっと必要なのかもしれません。

冬の楽しみ

ところで、今度スキーに行くんですって?

 チャン、トゥイ、フォン:はい。ガーラ湯沢に行きます。
 フォン:私はスキーに行くのは初めてです。
 チュク:私はまだスキーをやったことがありません。
 タイン:私もです。
 チャン;楽しいよ!、病み付きになるから!

(トゥイさんは雷鳥の研究会に入っていて、3〜6ヶ月に一度、富山や新潟まで観察にいっています。
つい先日も行ってきました。)

日本にいる間に、日本の自然をたくさん楽しんでいってくださいね。

*外国人看護師養成支援事業とは

1994年、ベトナム社会主義共和国 労働・傷兵・社会省と民間病院で組織された日本国関東JFBネットワーク協同組合との間で外国人看護師要請支援事業に関する協定が結ばれました。(2003年にベトナム社会主義共和国医療省と日本国AHPネットワーク協同組合にそれぞれ名称が変更された。)これはベトナムと日本の友好親善と医療看護技術移転の推進をはかるため、ベトナムで選抜された看護師候補生を日本で受け入れ、看護学校への留学、看護師免許の取得を支援し、国内の医療機関での研修を行うことを目的とするものです。公募で選ばれた候補生はベトナムで約2年の語学研修を行い、その後日本で3年間留学、4年の研修を行ないます。1期生はH7年に来日しH16年の春帰国しています。当院のチャンさんは2期生です。